CULTURE
松尾潔のハードな日々。初の音楽エッセイ集刊行。
July 11, 2014 | Culture | a wall newspaper | text: Katsumi Watanabe
プロデューサーとしてEXILEや平井堅などの楽曲を手がけ、さまざまなメロウチューンを聴かせてくれる松尾さん。豊潤なメロディの起源は、音楽ライター時代にあった様子。
Q 現在は音楽プロデュースなど制作者として活躍されていますが、1990年代に音楽ライターとしてアメリカのR&Bシーンに飛び込んだころの記憶をまとめた著書『松尾潔のメロウな日々』が発売されました。ある意味、かなりハードな取材記としても読むことができますね。
随分無茶な旅をしていた、狂った季節でしたね。当時は音楽業界も景気がよく、ライナーノーツや雑誌のインタビューのため、よく海外へ出がけていました。この本を加筆修正するため、当時のスケジュールを確認してみたところ、90年代半ばの数年間は、ざっと100日から150日くらい海外にいたことになるんですよね。
Q 音楽ライターの取材としては異例の出張日数ですね。
旅行の取材ともなれば、数ヶ月間同じ国に滞在するということもあると思います。しかし、僕の場合はインタビューが主ですから、取材を終えたらすぐに帰国して。ある年は、アメリカへの往復が30回ほどありました。当時、毎週金曜に自分のラジオ番組を生放送でやっていて、16時にOAが終了したら、局からタクシーで成田空港へ向かい17時台の便でLAへ。取材したら、翌週月曜に帰国して、また別のラジオ番組へ。本番を終えたら再び空港へ戻り、今度はアトランタへ。それで、金曜の朝からまた自分の番組で喋っていたこともありました。貯まるマイレージ、使えない日々。まるでダメな歌詞みたい(笑)。
Q ジェイムズ・ブラウン(以下、JB)とクインシー・ジョーンズ(以下、Q)という超大御所とのやり取りが書かれていますね。
JBへ取材したのは92年、僕がまだ24歳のころでした。憧れの人だったんです。 彼の有名な逸話のひとつに、10代のころに服役していた少年刑務所で、ある時少年囚たちが一斉にいなくなり看守が焦って探したら、みんな集まってJBの生歌を聴いていたというのがあって。それだけ人の心を動かすエンターテイナーってどんな人物だろうと。会う前はストリートから這い上がったブラザーという印象を持っていたんですが、実際に会ってみるともの凄く紳士。当時、僕のような日本から来たジャーナリストの取材を、本気で相手にしない黒人アーティストが多かったのに、JBは誠実に向きあってくれた。でも、その優しさには、したたかというか、内心何を考えているかわからないような怖さもあって。正直“ちょっと待ってよ。JBにはもっと強面でいてもらわないと困るんですけど”とも思ったり。
随分無茶な旅をしていた、狂った季節でしたね。当時は音楽業界も景気がよく、ライナーノーツや雑誌のインタビューのため、よく海外へ出がけていました。この本を加筆修正するため、当時のスケジュールを確認してみたところ、90年代半ばの数年間は、ざっと100日から150日くらい海外にいたことになるんですよね。
Q 音楽ライターの取材としては異例の出張日数ですね。
旅行の取材ともなれば、数ヶ月間同じ国に滞在するということもあると思います。しかし、僕の場合はインタビューが主ですから、取材を終えたらすぐに帰国して。ある年は、アメリカへの往復が30回ほどありました。当時、毎週金曜に自分のラジオ番組を生放送でやっていて、16時にOAが終了したら、局からタクシーで成田空港へ向かい17時台の便でLAへ。取材したら、翌週月曜に帰国して、また別のラジオ番組へ。本番を終えたら再び空港へ戻り、今度はアトランタへ。それで、金曜の朝からまた自分の番組で喋っていたこともありました。貯まるマイレージ、使えない日々。まるでダメな歌詞みたい(笑)。
Q ジェイムズ・ブラウン(以下、JB)とクインシー・ジョーンズ(以下、Q)という超大御所とのやり取りが書かれていますね。
JBへ取材したのは92年、僕がまだ24歳のころでした。憧れの人だったんです。 彼の有名な逸話のひとつに、10代のころに服役していた少年刑務所で、ある時少年囚たちが一斉にいなくなり看守が焦って探したら、みんな集まってJBの生歌を聴いていたというのがあって。それだけ人の心を動かすエンターテイナーってどんな人物だろうと。会う前はストリートから這い上がったブラザーという印象を持っていたんですが、実際に会ってみるともの凄く紳士。当時、僕のような日本から来たジャーナリストの取材を、本気で相手にしない黒人アーティストが多かったのに、JBは誠実に向きあってくれた。でも、その優しさには、したたかというか、内心何を考えているかわからないような怖さもあって。正直“ちょっと待ってよ。JBにはもっと強面でいてもらわないと困るんですけど”とも思ったり。
JAMES BROWN『UNIVERSAL JAMES』(92年)/JBの遺伝子を継ぐプロデューサーたちと共演。
Q 一方、Qの印象は?
ジャズマンから立身し、マイケル・ジャクソンの作品や『We Are The World』でプロデューサーとして大成功を収め、クリントン大統領の就任式典を仕切った男ですから。完全に体制側だと思っていたんです。商売上手な。取材では、そうした私的な感情を含んだ慇懃無礼な質問を投げてみました。当然のことQは紳士だから冷ややかに返してくるかと思いきや、ものすごい剣幕で怒られてしまって。“この人はクールなビジネスマンなんかじゃない。実は熱い血の通ったブラザーだ!”と痛感しましたね。
Q 二人の印象が逆転した?
そうです。当時の僕といえば、大学を出ても就職せず“自分の好きなことで生きてこう”と思っていて。そんな生ぬるい考えのもとに続けていた音楽ライター業ですが、ポップミュージックの評論といえばあくまで白人ロックが中心でしたから。それに対抗してブラックミュージックで勝負してやるとか、反体制的な姿勢だったんです。Qは芸術を食い物にした体制側の親分という思い込みがあり、仮想敵だったんですね。でも、実際に会ったことで図式が崩れた。
Q 松尾さんがプロデュース業を始められたキッカケになった?
怒られたことで感応してしまったのは否定できません。彼が携わった作品自体は大好きでしたから。95年にQと初めて会って、その熱が冷めない翌96年に、今度はQと親交が深いベイビーフェイスの作品のリミックス依頼が舞い込んできた。それが音楽制作に携わる第一歩になりました。
ジャズマンから立身し、マイケル・ジャクソンの作品や『We Are The World』でプロデューサーとして大成功を収め、クリントン大統領の就任式典を仕切った男ですから。完全に体制側だと思っていたんです。商売上手な。取材では、そうした私的な感情を含んだ慇懃無礼な質問を投げてみました。当然のことQは紳士だから冷ややかに返してくるかと思いきや、ものすごい剣幕で怒られてしまって。“この人はクールなビジネスマンなんかじゃない。実は熱い血の通ったブラザーだ!”と痛感しましたね。
Q 二人の印象が逆転した?
そうです。当時の僕といえば、大学を出ても就職せず“自分の好きなことで生きてこう”と思っていて。そんな生ぬるい考えのもとに続けていた音楽ライター業ですが、ポップミュージックの評論といえばあくまで白人ロックが中心でしたから。それに対抗してブラックミュージックで勝負してやるとか、反体制的な姿勢だったんです。Qは芸術を食い物にした体制側の親分という思い込みがあり、仮想敵だったんですね。でも、実際に会ったことで図式が崩れた。
Q 松尾さんがプロデュース業を始められたキッカケになった?
怒られたことで感応してしまったのは否定できません。彼が携わった作品自体は大好きでしたから。95年にQと初めて会って、その熱が冷めない翌96年に、今度はQと親交が深いベイビーフェイスの作品のリミックス依頼が舞い込んできた。それが音楽制作に携わる第一歩になりました。
QUINCY JONES『Q’s Juke Joint』(95年)/ラッパーや新世代R&Bシンガーを迎えた作。
Q デビュー当時のジェイ・Zにも会われていますが、今ではすっかり超大物ですよね。
デビューの翌年にNYで会いました。デビュー盤のジャケットでは、葉巻を持つ彼が印象的だったので同じ銘柄のものを土産に持参しようと、シガーショップでたずねると「ヤツのお気に入りはこれだよ!」と教えられた葉巻を買ったんです。すると本人からは「違う!」と言われて。でもしっかり懐にしまっていましたけど。正直“セコいヤツだな”と(笑)
Q ガッカリすることがあっても、原稿のネタにはなるものですね。
“これでコラムひとつ分。でも、現状のリカバーは必要“なんて思っていました(笑)。多少の危険を伴っても、話のタネになること、エピソードが生まれる場所へつながっているであろう道をいつも選んでいたかも。
デビューの翌年にNYで会いました。デビュー盤のジャケットでは、葉巻を持つ彼が印象的だったので同じ銘柄のものを土産に持参しようと、シガーショップでたずねると「ヤツのお気に入りはこれだよ!」と教えられた葉巻を買ったんです。すると本人からは「違う!」と言われて。でもしっかり懐にしまっていましたけど。正直“セコいヤツだな”と(笑)
Q ガッカリすることがあっても、原稿のネタにはなるものですね。
“これでコラムひとつ分。でも、現状のリカバーは必要“なんて思っていました(笑)。多少の危険を伴っても、話のタネになること、エピソードが生まれる場所へつながっているであろう道をいつも選んでいたかも。
JAY-Z『REASONABLE DOUBT』(96年)/元ギャングから成功したラッパーのデビュー作。
Q ハードな日々でしたね。
だからこそ、振り返ってみれば甘い思い出になっているのかもしれません。そう考えると、恋愛と一緒ですよね。激しい恋の記憶ほど、時が過ぎ去るにつれ豊潤(メロウ)になっていくものでしょう。酷暑の年ほど良いワインができるといいますからね。まあこれはただの趣味の話ですけど。
だからこそ、振り返ってみれば甘い思い出になっているのかもしれません。そう考えると、恋愛と一緒ですよね。激しい恋の記憶ほど、時が過ぎ去るにつれ豊潤(メロウ)になっていくものでしょう。酷暑の年ほど良いワインができるといいますからね。まあこれはただの趣味の話ですけど。
『松尾潔のメロウな日々』
90年代半ばに音楽誌やライナーノーツなどに寄稿した文章をまとめた音楽エッセイ。ジェイムズ・ブラウンやクインシー・ジョーンズなどへのインタビューも収録。また、序文を山下達郎が担当している。SPACE SHOWER BOOKS/1,800円。