天才マックイーンの光と闇|石田潤のIn the mode | ページ 2 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

天才マックイーンの光と闇|石田潤のIn the mode

華やかなファッションの世界を駆け抜けていったアレキサンダー・マックイーン。天才デザイナーのクリエイションの光と闇に、真っ向から取り組んだドキュメンタリー映画『マックイーン:モードの反逆児』が間もなく公開される。

ベスト・コレクションのひとつに挙げられる1999年春夏コレクション「No.13」。フィナーレでは、回転式のプラットフォームに立ったシャローム・ハーロウの無地のドレスに、両サイドのロボットがスプレーを吹きかけるという演出が行われ、人間とロボットの美しいコラボレーションが実現した。
ファッション界の「恐るべき子ども」と言われたマックイーンは、1996年にロンドンファッションウィークで初のショーを発表すると、翌年には27歳の若さでパリのクチュール・メゾン、ジバンシィのデザイナーに抜擢される。多くの英国出身デザイナーがパリのメゾンで活躍している現在では特に驚くべきことには思えないが、当時はかなりセンセーショナルな出来事として受け止められた。

ジバンシィにおけるマックイーンの前任者はジョン・ガリアーノだったが、パリの上品なクチュール世界への彼ら「イングリッシュ・エキセントリック」の進出は、大きな衝撃をもたらした。ジバンシィのクリエイティブ・デザイナー就任は、マックイーンに名声と大金をもたらしたが、それまでタブーとされてきたアトリエの職人と積極的に交流を持ったり、契約金を自分のブランドの資金に回し、ロンドンではパリのストレスを発散するかのような過激なショーを行ったのもまた彼らしい。

マックイーンはジバンシィ、そしてクチュール世界に新しい風を吹き込んだが、コレクションは常に賛否両論だった。そして2000年末にはスキャンダルを起こす。時代の寵児、トム・フォードの誘いで、マックイーン社の株の51パーセントをグッチ・グループに売却したのだ。グッチ・グループ(現ケリング)はジバンシィが属するLVMHとライバル関係にあり、業界の掟を破ったこの出来事により、マックイーンは2001年の契約期限終了をもってジバンシィのデザイナーを更迭される。
最愛の母ジョイス・マックイーンと。アレキサンダー・マックイーンはタクシー運転手の父と主婦の母のもと、6人兄弟の末っ子として生まれ育った。母の葬儀の前日に、マックイーンは命を絶った。
アレキサンダー・マックイーンは、2010年に命を絶った。40歳の若さで逝ったその死はあまりに突然で、今も彼の誕生日や命日には多くのクリエイターがメッセージを送っている。映画『マックイーン:モードの反逆児』は、ファッションに全てを捧げ、そしてこの世を去った唯一無二の天才への鎮魂歌とも言える作品である。