さようなら、テレンス・コンラン卿。 たくさんのインスピレーションをいただきました。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

さようなら、テレンス・コンラン卿。 たくさんのインスピレーションをいただきました。

9月12日、イギリスのデザイン界の巨匠、サー・テレンス・コンランが天に旅立った。たびたび誌面にご登場いただき、深いご縁があったカーサブルータス。その軌跡を辿り追悼とさせていただきたい。

テレンス・コンラン(1931-2020)2017年11月。デザインミュージムの新館のオープニングにて。ちょっと無理して背筋を伸ばし、笑顔をつくってくれた。 photo_Haruko Tomioka
人生を振り返る『マイ・ライフ・イン・デザイン』も新デザイン・ミュージアムのオープンと同時に出版。サインをしていただく。 photo_Haruko Tomioka
テレンス・コンラン卿は2つの世界大戦に挟まれた1931年の生まれ。デザインが商業アートと言われていた時代に美術大学で学ぶ。バウハウスやモダニズムの影響を大いに受け、戦後の復興期、「デザインの力で、人々の暮らし、そして社会をよりよくしたい」という信念を抱く。その信念を生涯ぶれることなく貫きながら、ビジネス的にも成功。その利益を惜しむことなく、デザインの普及や教育に投じるなど、その功績は計り知れない。

当初はテキスタイルや家具のデザインが仕事の中心だったが、それらを売るような店がないと、1964年にオープンしたのが〈ハビタ〉だ。〈ザ・コンランショップ〉の前身となったこの店は、品揃えからディスプレイ、広告やカタログまでトータルでデザインされ、まったく画期的なものだった。ビートルズと同様にイギリスから始まり、世界中の人々のライフスタイルに影響を与えることになる。
バスケットのように円錐状に編んだ籐をメタルフレームに乗せた、初期の作品〈コーン・チェア〉(1953年)に腰掛けた、若きテレンス・コンラン。
美大ではテキスタイルを学び、1955年〈コンラン・ファブリック〉を創設した。右手はお気に入りのデザイン「リーフ」(1957年)。
1962年には、家庭用フラットパック(組み立て式)家具のデザインと生産を開始。いつでも時代を先駆け、そして走り続けた。
〈ハビタ〉の成功によって、デザインの普及と教育を目的とする〈コンラン財団〉を設立。ナイト(サー、卿)の称号を授与される。1989年、モダニズム以降のデザインに特化する世界初の美術館〈デザインミュージアム〉をオープンする。食に関しても並々ならぬパッションがあったコンラン卿。レストラン、ホテル、さらに出版や建築へと事業を拡大する。

90年代にはレストラン事業を拡大し、マズさで悪名高かったイギリスに食の革命を起こす一方、いよいよ世界に進出を果たす。94年には〈ザ・コンランショップ〉の日本一号店がオープン。これに合わせ、当時ブルータスの増刊だったカーサブルータスでも大特集が組まれている。
『カーサブルータス 1994年7月号』「ザ・コンランショップ日本上陸」記事より、自邸のバートンコートのインテリア。 photo_Keiko Nakajima
当時、ブルータスの増刊だったカーサブルータス。ロゴもこんなだった。 photo_Keiko Nakajima
その後もカーサブルータスでは、京都、ベトナム&タイ、中国と、コンラン卿の買い付けの旅にお供するという企画を特集。目利きのデザイナーにして敏腕なビジネスマンの仕事ぶりだけでなく、ユーモアとサービス精神あふれるお人柄も誌面から伝わってくる。厳しい目でセレクトされたものは、いずれも「シンプルで機能的」ということが基本。役に立つだけでなくオブジェとしても美しいことが条件だった。
『カーサ ブルータス 1999年10月号』「コンラン卿が選んだメイド・イン・京都」記事より。買い付けの合間に和食を堪能し、芸者衆にもご満悦だった。 photo_Keiko Nakajima
事業を拡大しながらも、「自分は企業家ではなくデザイナー」と、生涯、家具などのデザインを続けた一方、若いデザイナーの発掘やサポートにも惜しみなかった。自邸の敷地内には家具工房〈ベンチマーク〉を創設し、地元の若者などを職人に育成。世界中から注文が入る工房へと成長させている。

「生活向上のためにも、経済発展のためにも、社会改革のためにも、デザインは重要」が口癖だったが、その集大成として、晩年、私財とエネルギーを注いだのは、〈デザインミュージアム〉の移転だった。2016年の新ミュージアムのオープンの様子は、『カーサブルータス 2017年2月号』でも取材している。印象に残っているのは、時折車イスを利用しながらも、撮影の時はしっかりと立って笑顔を作ってくれたこと。オープニングスピーチでは、感極まって声を詰まらせたことも忘れられない感動の瞬間だった。その後も隠居生活には甘んじず、デザイン活動ほかレストランや有機農場の経営を計画、継続。最期は自邸で家族に囲まれて天に旅立ったと聞いた。

AIがあなたにおすすめ

※過去の記事も表示されます