日本のモダンデザインの源流を探るSIGNの新スペース。|土田貴宏の東京デザインジャーナル | ページ 2 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

日本のモダンデザインの源流を探るSIGNの新スペース。|土田貴宏の東京デザインジャーナル

フランスのハイエンドなヴィンテージ家具を扱うギャラリーとして国内外で知られる広島の〈GALLERY - SIGN〉。東京にオープンした彼らの新しいスペースは、日本のモダンデザインの未知の魅力を掘り起こす。

坂倉準三による椅子が使用されている、慶應義塾大学日吉キャンパスのキリスト教青年会。 photo_ Yoshiyuki Mizoguchi
〈GALLERY - SIGN〉の溝口至亮さんは、そう語る。1930年代にル・コルビュジエに師事した建築家で、帰国後は日本に近代建築を根づかせていった坂倉。自身の設計事務所に家具工房を設えて専門の職人を雇うほど、彼は家具のデザインにも力を入れていた。ル・コルビュジエの事務所でインテリアや家具を手がけたペリアンのプロフェッショナリズムによって、坂倉は建築における家具の大切さに気づいたようだと、溝口さんは説明する。
坂倉準三による、座面に竹を用いた椅子。シャルロット・ペリアンからの影響を感じさせる。
坂倉準三による、座面に竹を用いた椅子。シャルロット・ペリアンからの影響を感じさせる。
1940年、ペリアンは商工省の招聘により、日本を訪れてもの作りの現場を見て回った。坂倉はその人選にかかわるとともに、来日した彼女の視点や創造性にあらためてインスパイアされたらしい。ペリアンが来日の成果を披露した1941年の展覧会『選擇 傳統 創造』では、竹を使った家具などが発表されたが、後に坂倉も竹製の家具に取り組んでいる。

「今回の展覧会では、坂倉が設立した三保建築工芸が1947年から翌年にかけて製造した竹の家具も展示します。量産を目指したものの、わずかな数しか出回らなかったものです」と溝口さん。当時のペリアンの来日は、デザイナーの柳宗理にも影響を与えたことが知られている。しかし彼は竹を用いた家具はデザインしていない。実は建築家である坂倉のほうが、ペリアンとの交流が長く、親交も深かった。
1950年代にエールフランスのオフィスで使用されていた世界地図。
ペリアンによるスツール《ベルジェ》と《メリベル》。
「ペリアンの作品については、1955年開催の東京でのグループ展『ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展』で発表された家具など、日本から影響を受けてデザインされた家具を展示します。また1953年頃、彼女は坂倉と共同で東京のエールフランスの仮オフィスをデザインしました。そのために彼女がデザインした世界地図もあります」
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