ミラクルな「奇想の系譜」の系譜|鈴木芳雄「本と展覧会」 | ページ 2 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

ミラクルな「奇想の系譜」の系譜|鈴木芳雄「本と展覧会」

開催中の『奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド』が盛況だ。21世紀に入って、日本美術のファンは確実に増えているが、その現象に大きく貢献したのは、この展覧会に出ているような伊藤若冲ら、奇想の画家たちの仕事だ。こんなスゴい絵が200年以上前に描かれていたなんて。

『奇想の発見 ある美術史家の回想』辻惟雄(新潮社/2014年)。
辻先生、幼少期のお写真。おでこがとても出てて、雨が降っても顔が濡れない……なんて言われてそうだ。
この『美術手帖』の連載について著者の辻惟雄は自伝『奇想の発見 ある美術史家の回想』(新潮社 2014年)の中でこう書いている。

「昭和43年(1968年)、美術出版社から申し出があった。『江戸のアヴァンギャルド』という題で、又兵衛、若冲、蕭白らについて雑誌『美術手帖』に連載してほしいとのことである。(中略)さて、誰と誰でラインナップを組もうか。又兵衛は、当然1番バッターだ。この画家については、すでにいろいろ書いているので1回では足りない。2回分充てるとして、次は若冲か蕭白か。いや、狩野山雪がいた。年代順にいって、山雪が2番バッターとなる。」

当時、辻は36歳。東京国立文化財研究所を経て、東北大学助教授だった。学会向けに堅い文章ばかり書いていたのに、一般読者向けの文章を書かなきゃいけなくなって苦労したと辻は話している。
『奇想の系譜』辻惟雄(美術出版社/1970年)。函入。
奇想の画家たちと同年代の画家の生没年を表した年表が別刷りでついている。
『美術手帖』の連載は1970年(昭和45年)に『奇想の系譜 又兵衛—国芳』という単行本になり、版元である美術出版社から出版された。連載時にはなかった長沢芦雪の章は単行本書き下ろしとして収録されている。単行本タイトルでは編集部からの依頼時のタイトルだったという「江戸のアヴァンギャルド」が外れ「奇想の系譜」がメインタイトルになっている。「又兵衛—国芳」とサブが付いているので、これは日本の画家たちの話だということはわかる。

「奇想」という言葉をどこから引いてきたかについて、辻は当時ある美術雑誌で見つけた「国芳の奇想」というエッセイのタイトルからこの言葉を拝借し、これでいこうと決めたのだという。

『奇想の系譜』は初版が1970年に出て、再販が1972年。当時の編集担当者のメモによれば初版は2,000部、再販は1,000部。しかし、その後、しばらく絶版だった。その絶版の期間に『奇想の系譜』を古書店で探し、読んでいたのが今回の「奇想の系譜展」の監修をつとめた明治学院大学教授の山下裕二である。1979年のこと。辻は東北大学から東京大学に移ったそのタイミングで山下は東京大学の美術史学科に進んだ。山下がこの本を手にしたきっかけは先輩に教えられてのことだった。
『奇想の系譜』(ぺりかん社/1988年)。
画家たちの生没年年表は別刷りではなく、後ろの見返しに組み込まれた。
長く絶版だった『奇想の系譜』が新装版で出版されたのが1988年。そのあとがきにはこう書かれている。

「この本が出たのはいまから一八年前になる。そのころわたしは三〇代後半、安全無害に消毒された江戸時代絵画史をすこしスリリングなものにしてやろうという邪心が先走ってか、いささか放縦な書きぶりになっていると、いま読み返して思うのだが、それが予想外の反響を呼んだのは、盛られた材料が当時の多くの読者にとって未経験のものだったからだろう。」

ぺりかん社の新版になるにあたって、装丁があらためられた。美術出版社版が函には国芳をつかっているものの、表紙まわりは曽我蕭白《雲龍図》(ボストン美術館蔵)だが、ぺりかん社版は歌川国芳の《讃岐院眷属をして為朝をすくう図》(部分)である。このときまだ若冲ブームも起きてないので、浮世絵にした方が親しみやすいという判断だろうか。両者は、函のある無しの違いはあるが、判型は同じで、書体や字組も同じ、ノンブル(ページの数字)も同じ。ぺりかん社版は本文のあとに「新版のための注」が増えているので、「あとがき」以降はノンブル変更しているが、それ以外は全く同じで、活字のズレなども同じなのでこれは文字組をやりなおしたものではなく、オリジナル本を複製して作ったもののようだ。

さらに辻は新版あとがきの末尾の方でこう書いている。

「いまのわたしは『奇想』というものを、江戸時代絵画の特産物としてだけでなく、時代を超えた日本人の造形表現の大きな特徴としてとらえたいと思うようになっている。」
京都国立博物館『-没後200年- 若冲』展 公式カタログ(2000年)。
『-没後200年- 若冲』展 公式カタログより、《鳥獣花木図屏風》(米国、エツコ&ジョー・プライス コレクション)
奇想の画家たちが一気にポピュラーになるきっかけは、2000年、〈京都国立博物館〉で開催された『-没後200年- 若冲』である。それまで「じゃくちゅう」と読めなかった人も多かったし、その画家が載っている『奇想の系譜』を読んだことのある人も今ほど多くなかっただろう。

たった1か月ほどの会期の展覧会だったが、評判が評判を呼んだ。京都でだけ開催された展覧会だったので、東京からも多くの人が駆けつけた。「こんな画家がいたのか!」「日本美術って面白い」とネット上でも話題になった。

その後の2003年、〈森美術館〉の開館記念展『ハピネス』では現代美術と古美術を組み合わせる展開が行われたが、その中で若冲の《鳥獣花木図屏風》(米国、エツコ&ジョー・プライス コレクション)がメインヴィジュアルの一つとして広告宣伝に大々的に取り上げられた。この、類例をほとんど見ない桝目描きの屛風とその作者・若冲は現代美術ファンの間でも一躍有名になった。
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