ル・コルビュジエは画家になりたかった?|青野尚子の今週末見るべきアート | ページ 2 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

ル・コルビュジエは画家になりたかった?|青野尚子の今週末見るべきアート

1918年にル・コルビュジエが提唱した芸術運動「ピュリスム」にスポットをあてた展覧会が、彼が本館を設計した〈国立西洋美術館〉で2月19日からはじまりました。本当は画家になりたかった彼の、絵画と建築の関係が見えてきます。

アメデ・オザンファン《瓶、カラフ、ヴァイオリン》(左・1920年)、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)《ランタンとギターのある静物》(右・1920年)。この頃の2人の絵は驚くほどよく似ている。
アメデ・オザンファン《瓶のある静物》(左・1922年)、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)《アンデパンダン展の大きな静物》(1922年)。ともに身近な日用品をモチーフに、構築的な画面を作り上げている。
アメデ・オザンファン《瓶、カラフ、ヴァイオリン》(左・1920年)、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)《ランタンとギターのある静物》(右・1920年)。この頃の2人の絵は驚くほどよく似ている。
アメデ・オザンファン《瓶のある静物》(左・1922年)、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)《アンデパンダン展の大きな静物》(1922年)。ともに身近な日用品をモチーフに、構築的な画面を作り上げている。
彼はオザンファンを師としてあおぎ、ピュリスムの原則に忠実に従っていたが、もっと自由な色や形の可能性を試したいと思うようになったのだ。2人は次第に不仲になり、1925年にはオザンファンが『エスプリ・ヌーヴォー』を離脱する。ピュリスム運動は終わりを告げ、ル・コルビュジエはその後40年間にわたって建築家として活躍することになったのだ。
手前の彫刻はジャック・リプシッツ《浴女》(1917年)。ル・コルビュジエはリプシッツのキュビスム彫刻を称賛し、彼の家を設計している。展覧会場ではル・コルビュジエ建築の柱の前にリプシッツの彫刻を置き、彼らの造形の関係性を強調した。
この頃のル・コルビュジエは、毎日午前中は自宅で絵を描き、自身の建築設計事務所には午後になってから出かけるのが日課だった。1930年にはすでに建築家として知られていたのに、イヴォンヌ・ガリと結婚した際の届け出の書類には「職業・画家」と書いている。
〈画家オザンファンのアトリエ・住宅〉(1922〜24年)1/30模型。ル・コルビュジエがパリで初めて完成させた住宅。最上階がアトリエになっていた。
〈ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸〉(1923〜25年)1/30模型。銀行家であり、アート・コレクターだったラ・ロシュの住宅とル・コルビュジエの兄、ピエール・ジャンヌレの住宅が一体となった家。
〈サヴォワ邸〉(1928〜31年)1/50模型。ピロティ、屋上庭園などル・コルビュジエが提唱した「近代建築の5原則」をもっとも純粋な形で体現した住宅の傑作。
〈サヴォワ邸〉写真。いわゆる「白の時代」に位置づけられる建築だが、内部には後のル・コルビュジエ建築に現れる鮮やかな色彩も出現している。
〈画家オザンファンのアトリエ・住宅〉(1922〜24年)1/30模型。ル・コルビュジエがパリで初めて完成させた住宅。最上階がアトリエになっていた。
〈ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸〉(1923〜25年)1/30模型。銀行家であり、アート・コレクターだったラ・ロシュの住宅とル・コルビュジエの兄、ピエール・ジャンヌレの住宅が一体となった家。
〈サヴォワ邸〉(1928〜31年)1/50模型。ピロティ、屋上庭園などル・コルビュジエが提唱した「近代建築の5原則」をもっとも純粋な形で体現した住宅の傑作。
〈サヴォワ邸〉写真。いわゆる「白の時代」に位置づけられる建築だが、内部には後のル・コルビュジエ建築に現れる鮮やかな色彩も出現している。
ル・コルビュジエの絵画の変遷は、彼の建築の変遷を先取りしているともいえる。彼にとっては絵画も建築も芸術の一ジャンルであり、対等なものだった。彼は建築を実用的な機能を満たすだけでなく、人を感動させるものでなくてはならない、と考えていたのだ。しかし絵画は自分ひとりで好きなように描くことができるが、建築はそうはいかない。クライアントがいるし、実際に建てるには強度やコストや工期などさまざまな制約がある。ル・コルビュジエは自分のアイデアを絵画で実験し、後に建築に応用していた。
シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)《暖炉》(左・1918年)。暖炉の天板の上に置かれた白い立方体はピュリスムの精神を体現するもの。アメデ・オザンファン《シストロンの城壁》(右・1918〜19年)。南仏を旅行中、偶然見かけた城壁を描いた。
たとえば、彼の絵画の初期にあたる「ピュリスム」の時代には、前述したように色彩は控えめ、形も円や直線など幾何学的なものが多い。建築でも初期の作品は“白い箱”と称される、白くてシンプルな形態を追求している。

またル・コルビュジエとオザンファンは絵を描くのに「トラセ・レギュラトゥール」(規整線)を使っていた。対角線や黄金比などをもとにした“補助線”を引き、その補助線に沿って画面を構成するというやり方だ。この「トラセ・レギュラトゥール」はル・コルビュジエの建築にも応用される。彼の著書「建築をめざして」にはファサードに「トラセ・レギュラトゥール」をひき、窓の位置などを決めたスケッチが掲載されている。
ル・コルビュジエ《サーカス 女性と馬》(1929年)。ピュリスムでは描かれることのなかった人体や動物が登場する。
ル・コルビュジエ《灯台のそばの昼食》(1928年)。この頃の彼はピュリスムの原理原則からは離れた、より自由な表現を模索している。
ル・コルビュジエ《サーカス 女性と馬》(1929年)。ピュリスムでは描かれることのなかった人体や動物が登場する。
ル・コルビュジエ《灯台のそばの昼食》(1928年)。この頃の彼はピュリスムの原理原則からは離れた、より自由な表現を模索している。
オザンファンと決別した1925年代の後半から1930年頃にかけて、ル・コルビュジエはピュリスムから離れる。また建築家として世に出ることを優先し、絵画の発表もやめてしまったが、制作は続けていた。その絵は直線を多用したピュリスムとは異なる、曲線を多用した有機的な線へと変わっていく。コップや瓶はぼってりとした量感を持ち、ふくらんでいくようだ。ピュリスムでは描かなかった風景や人体を描くなど、モチーフも変化する。女性の体や骨、バイオリンなどはとくに曲線が強調され、官能的な香りさえ漂う。

「ただし彼の絵が180度転換したというわけではなく、彼の中では、この2つは本質的には一貫したものととらえられていました」と国立西洋美術館副館長の村上博哉さんは言う。

「彼は、自然は表面的には不規則で有機的な曲線でできているけれど、その本質には幾何学があると考えていました。この変化は〈ロンシャンの礼拝堂〉など、有機的な曲線を多用した彼の後の建築にもつながります」

この展覧会で見られるル・コルビュジエの絵は後の彼の建築を予言している。彼の頭の中で絵画と建築がどのように結びついていたのかが見えてくる。
フアン・グリス《円卓》(左・1921年)、パブロ・ピカソ《葡萄の帽子の女》(右・1913年)。フアン・グリスはスペイン出身のキュビスムの画家。展覧会にはこの他にジョルジュ・ブラックなど、同時代のキュビスムの作品が並ぶ。
会場にはル・コルビュジエの絵画のほか、ピカソ、ブラックなどの作品も並ぶ。彼と同時代に活躍した画家たちだ。ル・コルビュジエはもともと、この美術館が「近代の精神を普及する拠点になってほしい」と考えていた。いつもはルネサンス絵画などが並ぶ本館でル・コルビュジエを含む近代美術を展示することは彼のコンセプトにも合致する。普段よりは照度も上げていて、白い壁がより輝いて見える。近代絵画との対比によって、建物のディテールにもあらためて気づくはず。ル・コルビュジエの空間を改めて体感できる展覧会だ。
フェルナン・レジェ《横顔のあるコンポジション》(1926年)。ル・コルビュジエはこの絵を自宅に飾っていた。
ル・コルビュジエがシャルロット・ペリアン、ピエール・ジャンヌレらと共同でデザインした家具。これらの家具にはペリアンが大きく貢献している。
●ル・コルビュジエが作った理想の美術館建築を味わおう!

ピロティ、スロープ、建築的プロムナード、無限成長美術館。ル・コルビュジエが本当に作りたいと思った美術館建築のエッセンスを改めて堪能しよう。
ぐるっと回遊できる2階の展示室。右側のハイサイドライトからは自然光を取り入れる構想だったが、作品保護のため、実際には人工照明が使われている。住宅を思わせるこぶりの空間はアートと親しく向き合えるサイズだ。
1階の「19世紀ホール」。2階に続くスロープで、建築的プロムナードの醍醐味が味わえる。
2階展示室の階段。現在は安全性確保のため使われていないが、上下の動きを感じさせるものとなっている。
1階の「19世紀ホール」。2階に続くスロープで、建築的プロムナードの醍醐味が味わえる。
2階展示室の階段。現在は安全性確保のため使われていないが、上下の動きを感じさせるものとなっている。