ボルタンスキーの迷宮へ。|青野尚子の今週末見るべきアート | ページ 2 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

ボルタンスキーの迷宮へ。|青野尚子の今週末見るべきアート

2016年、〈東京都庭園美術館〉で個展を開いたクリスチャン・ボルタンスキー。その際「2019年にパワーアップして帰ってくる」と予告していた。その言葉を裏切らない個展が大阪でスタート! 予想を超えた空間が広がっています。

《保存室(カナダ)》(1988年)。壁にびっしりとかけられている衣服は人の抜け殻のように見える。
《青春時代の記憶》(2001年)。誰のものかわからない写真がコラージュされたボード。誰にでも見覚えがあるような、集合的な記憶が表現される。
そうやって観客がさまよいながら出合うボルタンスキーの作品はどれも暗示的だ。たとえば《ミステリオス》はクジラに語りかける音を響かせる作品。映像には海辺に置かれたラッパと海、クジラの骨が映っている。これは南米の先住民の「クジラは時の始原を知っている」という伝承に基づくもの。ラッパは風が吹くとクジラの声に似た音を響かせる。

「こうしてクジラにずっと問いかけているのです。もちろん答えが返ってきたことはありません。でも疑問を呈し続けることが重要なのです」
風で鳴るラッパでクジラに問いかける《ミステリオス》(2017年)。実際に沖合に多くのクジラがやってくる南米パタゴニアで撮影されたものだが、クジラからの応答はない。
ボルタンスキーは、宗教には2つの種類があるという。

「何かを断定する宗教と、常に疑問を提示する宗教です。私は、ユダヤ教や仏教、神道は後者だと考えています」

自分は何者であるのか、何のために生まれ、生かされているのか、死んだ後はどこへ行くのか。どんなに技術が進歩しても、世界中どこで暮らしていても、こういった根源的な問いから逃れることはできない。こんな疑問だけでなくもっと個人的な、人間関係にまつわる悩みなどもあるだろう。宇宙はどのようにして始まってどう終わるのか、物質は何で構成されているのかといった科学的な問いもあるかもしれない。
《黄昏》(2015年)。床に置かれたたくさんの電球は展覧会の会期中、毎日2つずつ消えていく。私たちの命も少しずつ終わりに向かっていることを象徴する。
「一生をかけて、そんなさまざまな疑問への答えを探すのが人間なのだと思います。閉ざされた扉の向こうに答えがあって、その扉を開く鍵を探すようなものです。どんなに一生懸命探してもその鍵は見つからない。でも探し続けることが重要なのです」
《往来》(左・2000年、右・2001年)。それぞれがボルタンスキーの友人のためのモニュメントを表す。
アーティストの制作の原点のひとつにトラウマ(心的外傷)があるとボルタンスキーは言う。彼の場合はホロコーストだった。1944年、第二次世界大戦中に生まれた彼は両親やその友人から恐ろしい体験談を聞かされる。彼の両親は幸いにして強制収容所に送られることはなかったが、身を守るために偽装離婚し、母は父を床下に隠して暮らさなくてはならなかった。

「私は作品で直接、そのことを語ったことはありません。しかし、自分が歳をとって老いていくにつれ、穏やかで落ち着いた静寂の域に到達したように思います。傷が消えることはありませんが、甘美で穏やかな死について考えることはできる。草原や雪原にたくさんの風鈴が立っている《アニミタス》という作品はそういった死後の静寂を表しています」

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