瀧口修造が見出した岡上淑子の奇蹟|鈴木芳雄「本と展覧会」 | ページ 2 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

瀧口修造が見出した岡上淑子の奇蹟|鈴木芳雄「本と展覧会」

いま観に行くことができる話題の展覧会を、新旧の本とともに独自の視点で読み解く連載がスタート! 初回は、戦後、ひとりの女学生が始めたコラージュとその才能を見出した瀧口修造の邂逅を取り上げます。

2005年、世田谷美術館で開催された『瀧口修造 夢の漂流物』展の公式カタログより。「タケミヤ画廊の企画展・全二百八回」という項目があり、案内葉書などが掲載されている。岡上作品も《寝室》などが4葉載っている。
『コレクション 瀧口修造|7 実験工房 アンデパンダン』(みすず書房 1992年)に「タケミヤ画廊の再開」という短い文章が載っている。大展覧会は氾濫しているけれども新人作家を紹介する機会が少なすぎる。もっと盛んにならなければならない。そこで〈タケミヤ画廊〉の仕事を瀧口は引き受けた。

「出来るだけこの画廊を無性格な貸画廊のようなものにせず、新しい芸術のための温床、道場でもあり娯しいクラブでもある生気にみちた場所にしたいと念願している」
『コレクション 瀧口修造|7 実験工房 アンデパンダン』。この全集は全13巻 別巻2冊となる。
才能のある人は周りが放っておかない。必ず発見される。きっと次々にセッティングされて、世に出てくる。そういう楽観的、運命的な見方も歴史的に見て間違いではないかもしれない。しかし、たとえば岡上が東洋英和の中等部から、一時本人が希望した同校の師範科にエスカレータ式に進んでいたら、恵泉女学園で武満浅香と出会うこともなく、武満徹とも瀧口修造との出会いもなかったかもしれない。あるいは遅れたかもしれないし、違った形だったかもしれない。
《マスク》©Okanoue Toshiko, 個人蔵
瀧口修造が「続けてごらんなさい」と言ってくれたり、エルンストの画集を見せてくれなかったら、彼女の作品はここまでは育たず、世の中の目に触れなかったかもしれない。いやいや、もしもそうでなかったとしても、人々が見たがる作品はどんな経緯をたどっても必ずや、世に出たに違いないと考えるのも自由である。

〈タケミヤ画廊〉で岡上は2度の個展を開催した。2度目の個展ではコラージュ作品に加えて、写真作品も展示した。これはコラージュ手法に限界を感じたためであろうか、瀧口の勧めもあり、写真作品の制作も始めたのだという。
左のカメラ「コニカC35」は時代的に作品作りには関係ないのかもしれない。右は川内倫子やヴィヴィアン・マイヤーの愛機としても知られるローライフレックス。手前左は露出計、右はストロボ。 photo_Yoshio Suzuki
その後、家事や育児に追われ、さらに高知への移住などで創作活動から遠ざかっていった。活動期間はわずかに6年ほどの間。創作点数は150点前後と言われている。美術の世界からいったんは忘れられた岡上だが、1996年、〈目黒区美術館〉で開催された『1953年ライトアップ 新しい戦後美術像が見えてきた』に作品が出品される。写真史家の金子隆一がずっと岡上の行方を探していて、その展覧会の調査の中で「再発見」されたのだ。

その後、2000年の〈第一生命南ギャラリー〉での『岡上淑子 フォト・コラージュ ―夢のしずく』が開催され、これが44年ぶりの個展となった。

やはり、芸術作品は、才能というものは隠れたままではいない。必ず発見される。もし、一時的に埋もれたとしてもきっと再発見される。そういうことだろうか。

●この展覧会を見て、こんな本をあらためて読んだ。

(左から)『はるかな旅 岡上淑子作品集』(河出書房新社)、『コレクション 瀧口修造|7 実験工房 アンデパンダン』(みすず書房)、『瀧口修造 夢の漂流物』(世田谷美術館/富山県立美術館)、『瀧口修造とタケミヤ画廊』(佐谷画廊/第26回 オマージュ瀧口修造展 図録)。

岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟

〈東京都庭園美術館〉東京都港区白金台5-21-9。〜4月7日。第2・第4水曜休。10時〜18時(3月29日、30日、4月5日、6日は夜間開館につき20時まで)。900円。

鈴木芳雄

すずき よしお  編集者/美術ジャーナリスト。『ブルータス』副編集長時代から「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「若冲を見たか?」など美術特集を多く手がける。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』など。明治学院大学非常勤講師。