8点が一堂に並ぶ、話題の『フェルメール展』へ急げ! | ページ 3 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

8点が一堂に並ぶ、話題の『フェルメール展』へ急げ!

現存する作品はわずか35点とも言われるフェルメール。貴重な作品がオランダ、ドイツ、アイルランド、アメリカなどから来日中です。なんと8点がひとつの部屋にずらりと並ぶという、日本初の試みも話題に。絶対に見逃せない展覧会です。

ヨハネス・フェルメール《手紙を書く女》1665年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー National Gallery of Art, Washington, Gift of Harry Waldron Havemeyer and Horace Havemeyer, Jr., in memory of their father, Horace Havemeyer, 1962.10.1 この黄色いマントは出品されていない3作品にも描かれている。
机に向かって手紙を書いている女性が、手を休めてこちらを向いて微笑む。《手紙を書く女》の女性が見ているのは誰だろう? 手紙も楽器と同様、恋愛を象徴する小道具だ。さらにこの絵では、女性の後ろの壁にかかっている絵に楽器が描き込まれている。手紙と楽器、2つ重なった恋愛の象徴と謎めいた視線がまたもや私たちの想像力をかきたてる。

《リュートを調弦する女》《真珠の首飾りの女》《手紙を書く女》の女性はいずれも、白い毛皮で縁取りをされた黄色いマントかケープのような服を着ている。この服はフェルメールが所有していたものらしく、妻の持ち物か、絵のための衣裳としてアトリエに常備されていたようだ。《ワイングラス》のステンドグラスは、今回は出品されない《ワイングラスを持つ娘》という絵にも登場する。同じ地図や、ライオンの頭の装飾がついた椅子が違う絵に描かれることもある。

このようにフェルメールはお気に入りの服や小道具を繰り返し描いた。でも、その位置は絵によって微妙に違う。彼は、同じオブジェの配置を変えることで光の当たり方や画面構成がどう変わるのかを実験していたのかもしれない。何の変哲もない瓶を繰り返し並べ替え、何枚も何枚も描き続けたモランディのように。
ヨハネス・フェルメール《赤い帽子の娘》1665-1666年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー National Gallery of Art, Washington, Andrew W. Mellon Collection, 1937.1.53 大きな帽子が特徴的。レンブラントもこのタイプの帽子をかぶる妻サスキアを描いている。※12月20日まで展示
《赤い帽子の娘》は写真なら「ボケ」と呼ばれるだろう。焦点の合っていない、輪郭のふわっとした女性には目、鼻、首の下、右肩などに光の粒が踊っている。唇は濡れたような感じだ。画面右下の椅子の飾りなどは完全にフォーカスが外れて、にじんだように見える。フェルメールはこんな効果を得るために、現在の写真機の原型である「カメラ・オブスクラ」を使って描いていたと思われる。

本展に並ぶ、同時代の他の画家たちがすみずみまで細かく描き込んでいるのに対して、フェルメールはあえて焦点をあてずに描くことがある。人間の目は、意識して見ているもの以外はこんなふうにぼんやりとしか見えていないものだ。フェルメールの絵はその意味で、リアリズムを追求したものだと言える。
ヨハネス・フェルメール《手紙を書く婦人と召使い》1670-1671年頃 アイルランド・ナショナル・ギャラリー Presented, Sir Alfred and Lady Beit, 1987 (Beit Collection) Photo © National Gallery of Ireland, Dublin NGI.4535 後ろの壁には旧約聖書の一場面「モーセの発見」の絵が掛けられている。 
《手紙を書く婦人と召使い》は後期の作品。手紙を書く女主人の脇で、召使いが書き終わるのを待っている。机に向かって一心不乱に手紙を書いている女性の前の床には、手紙に封をするための封印と紙片が落ちている。この紙片は女性が書き損じた紙を捨てたものとも、もらった手紙を開封して投げ捨てたものとも言われている。いずれにしても手紙を書く女性の激しい感情が垣間見えて、この恋の行く末がますます気になってくる。

8点が並ぶ展示室の中でも《牛乳を注ぐ女》は圧巻だ。彼女は古くなったパンを牛乳に浸して作る「パン粥」の準備をしているところだろう。フェルメールはここでも「マイナスの美学」を駆使している。壁にはもともと、地図か暖炉と思われる四角形が描かれていた。足下には大きな洗濯籠が描かれていたが、小さな足温器とタイルの幅木に置き換えられている。白い背景がメイドに視線を集中させる。

牛乳が入った壺の口やパン、籠、陶器には光の粒が踊っている。よく見ると、メイドの青いエプロンやテーブルにかかった青い布にもその粒がある。薄暗いところで太陽光に照らされたものを見ると、光が斑点となって見える。フェルメールはそんな人間の目の特質を見逃さない。

この絵の「ヒロイン」はたくましい腕を持つがっしりとしたメイドだ。でも牛乳をこぼすまいと手元に集中する姿には聖なるものさえ感じられる。壁の左上には小さな釘が描かれる。籠などをかけるためのものだろう。こんな細部にリアリティを追求する一方、テーブルは壁についた辺と青い布が垂れ下がる辺とは平行ではなく、そこだけ遠近法を無視しているようだ。テーブルの上に余白を作らず、かつメイドの足下を描くための演出ではないかと思われる。フェルメールのリアルは現実その通りではなく、人間の脳が認識しているリアルなのだ。

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