仙厓のユルい禅画《指月布袋画賛》|ニッポンのお宝、お蔵出し | ページ 2 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

仙厓のユルい禅画《指月布袋画賛》|ニッポンのお宝、お蔵出し

禅の教えを説くのに、なぜかユルい絵。禅僧、仙厓が描く禅画は、目は「ちょんちょん」だし、指も描いてない。そんなテキトーな絵で大丈夫? いやいや、悟りの道は絵の上手い下手とは関係ないのです。

《老人六歌仙画賛》六歌仙とは古今和歌集の序文に記された6人の歌人。出光美術館蔵。
《老人六歌仙画賛》では老人が集まっている。賛(画中に書き込まれた文章)には、「年をとるとこんなイヤなことばかりだ」という事柄が列挙されている。「皺がより、腰が曲がり、耳は遠くなり、目も悪くなる。何事にもくどくなり、自分の達者自慢をして人に嫌がられる」などとさんざんな書きようだ。でも、老人たちはニコニコしている。年をとったんだから、それぐらいのことは仕方ないじゃないか。諦めとともに現状を受け入れることが前向きに生きる第一歩になる——そんな気がしてくる。
《猿猴捉月画賛》猿が水面に映った月をとろうとする逸話を描いたもの。狩野派の絵師なども盛んに描いた人気の画題だ。出光美術館蔵。
誰にでも描けそうな仙厓の絵だが、初期の絵にはもっと細かく描きこんだ写実的なものや、狩野派の作品を模写したものもある。が、ある時、高名な絵師に仙厓が自分の絵を見せたところ、その人は次のようなことを言った。

「すごく上手いけれど、このままだと雪舟のように禅僧としてではなく、画僧としての名声だけが残ることになってしまう」

こう言われて、仙厓はその場で絵を破り捨てたという。真偽不明のエピソードだが、禅の道を極めることが彼の一番の目標だったことを示している。実際に彼は分量の多い「大蔵経」を3度も読破、握り飯を片手に経蔵にこもるなど、勉強熱心な僧だった。
《双鶴画賛》二羽の鶴が描かれた絵には「鶴ハ千年 亀ハ萬年 我れハ天年」と書かれている。長生きするに越したことはないけれど、自分は天から与えられた命を生きるのだ、という意味。出光美術館蔵。
こうして禅の教えには生真面目に取り組む一方、絵に関しては「世の中の絵には法があるが、仙厓の絵には法がない」といった賛を書いたりしている。絵には普通、こんな風に描きなさい、という指針があるけれど、仙厓は自分の好きなように描くよ、という宣言だ。風にしなる竹の絵には「仙厓の絵は人に笑われることをよしとする」といった内容の賛を書いた。大木のように揺るぎないものではなく、風に合わせて揺れる柔軟さが大切だ、そう諭されているような気になる。
《涅槃図》斎藤秋圃が描いた「涅槃図」だが、中央に寝ているのは仙厓自身。その周りを友人たちが取り囲んで嘆いている。下の方には仙厓の愛用品が。でも実は仙厓の筆が見た夢、というオチ。秋圃は仙厓の絵の師匠でもある。出光美術館蔵。
仙厓は老若男女から愛されたようで、彼が隠居していた「虚白院」には多くの人が訪れた。彼は有名な「恨めしや我が隠れ家は雪隠か 来る人ごとに紙おいていく」という一文を書いている。「みんな何か書いてくれ、と紙を持ってくるけれど我が家は雪隠(トイレ)ではないのだ」とユーモアたっぷりにぼやいているのだ。年老いてこれだけ多くの人に慕われたのなら、うらやましい隠居生活ではないか。もちろん彼の人柄がなせる技だろう。
《○△□》何を意味しているのかを考えて下さい、と言われているような絵。鈴木大拙は自著で「The Universe」と紹介、世界や宇宙を現すという解釈を示した。出光美術館蔵。
仙厓の絵には賛があるものがほとんどだが、「○△□」とだけ描かれたものがある。この絵にはさまざまな解釈がされてきた。それぞれ水・火・土や禅宗・真言宗・天台宗を現しているといった具合だ。でも賛がないのだからどんな意味なのかは見る人次第とも言える。賛があってもそこから読み取れるものはさまざまだ。最後は自分で考えることが悟りへの道なのかもしれない。
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