ヌードの歴史と意味を探ってみませんか?|青野尚子の今週末見るべきアート
ありふれた画題でありながら、時に論争の的になる「ヌード」。身体というもっとも身近なモチーフを表現したアートがイギリスから横浜に上陸しました。
一方で女神や妖精ではなく、市井の女性に焦点をあてた絵画も登場する。エドガー・ドガやピエール・ボナールが描いた、室内で水浴する女性たちはリラックスした雰囲気だ。親密な空間はその絵を見る者がまるで、彼女の部屋を覗き見しているような錯覚をおこさせる。
20世紀初頭に起きたキュビスムやドイツ表現主義といった表現の実験はヌードにも及んだ。人体は引き延ばされたり分解されたり、直線で表されたり量感が極端に強調されたりとさまざまな変形が行われる。人体の表現には無限の可能性がある、そのことに芸術家たちは夢中になった。
裸体画や彫刻は常に「芸術か猥褻か」の争いを巻き起こしてきた。レイトンの作品は理想化された完璧な身体だったため称賛されたが、同時代に描かれた、現実に存在しそうな生々しい裸体は非難の的となった。ドガらの絵も同様だ。美術史では“腰巻事件”とでも言うべき事件も度々起きている。観衆の劣情を催すとして絵に腰巻を描き加えたり、布を巻いたりするのだ。
この展覧会のハイライト、ロダンの《接吻》も今からおよそ100年前に公開された当時、イギリスでは「若者には刺激が強すぎる」などとしてシートをかけられてしまった。このことは逆に言えばロダンの表現がそれほど迫真的だったことの証だ。この作品は夫の弟と恋に落ちた妻の物語をモチーフにしたもの。背徳的な関係が官能性をより強く感じさせる。カミーユ・クローデルとの関係でも知られるロダンは「恋愛こそ生命の花」と言ったという。恋愛体質の彫刻家のパッションが冷たいはずの大理石から熱を発するようだ。
《接吻》が置かれた展示室に並ぶスケッチも興味深い。デイヴィッド・ホックニーはイギリスで同性愛が違法だった時代に男性同士の恋愛シーンを描いた。彼は窮屈なイギリスを逃れてカリフォルニアで暮らしていたこともある。イギリスを代表する国民的画家であり、テートにも多くの作品が所蔵されているターナーは、風景を描きとめるために使っていたスケッチブックにエロティックな素描も残している。彼は子供までなした女性とは結婚せず、週末に愛人の家に出かけるなど複数の女性と関係を持っていた。これらの不品行なスケッチは彼の名誉を守るため、死後処分されたという説もあるが、展覧会には近年の研究でその詳細が明らかになってきたものが並ぶ。