大規模個展を開催中の写真家、石内都をデザイナーの山縣良和が直撃! | ページ 2 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

大規模個展を開催中の写真家、石内都をデザイナーの山縣良和が直撃!

横浜美術館で大規模な個展を開催中の石内都。石内作品にコレクションのヒントを得たというファッションブランド〈writtenafterwards〉デザイナーの山縣良和が、会場に石内を訪ねた。世代もジャンルも違う二人が、「服」をキーワードに初対談。

──石内さんは撮影するにあたり、服の所有者のことも調べるのですか?
石内 データは一切見ません。《ひろしま》もそうでした。
山縣 初めて出会った服との対話で十分なのですね。
石内 そう、それだけでいい。ドキュメンタリーではないですから。記録しているわけでも過去を採取しているわけでもない。今、私と出会っている着物であり広島を撮っている。だからいつもコンテンポラリーなんです。
山縣 あくまでも石内さんのストーリーということですよね?
石内 創作ですから(笑)。
山縣 僕は〈ここのがっこう〉という私塾をやっていて、いろいろな学生がきます。ファッションに興味がある子が集まっているのですけれど、学生は将来ファッション・デザイナーになりたいのか、アーティストになりたいのか、はたまたファッションとは全く違った職業になりたいのか、よく迷っています。でもいわゆる既成概念のファッション・デザイナーとはまた違う表現を持っているかもしれないじゃないですか。それに引っ張られて自分のやりたいことが見えないこともあるんです。ファッションとは全く違った職業の中でファッションから学んだ事を活かす仕事だってありえる。石内さんがオープニングの挨拶で、自分にとって一番大事なのは今回の展覧会のタイトルにもなっている「肌理(きめ)」だと言っていましたよね。肌理をどういうふうに表現するかで行き着いたところが写真だったという。僕もそうあるべきだと思って、既存の媒体に引っ張られすぎないように自分が本当に表現したいことを見極めなければならないということをオープニングの後の授業で石内さんの話をしました。
石内 嬉しいですね。写真は歴史がないから、自分で歴史を作っていく気がします。写真はこうだというのが全くない。今回の展覧会で初めて写真という言葉をタイトルに使ったんですよ。
山縣 敢えて使ったのですね?
石内 写真をやる覚悟がやっとできたみたい。今までは恥ずかしくて写真という言葉が使えなかった。
山縣 肌理という言葉は、もともとご自身の中にあったものなのですか?
石内 「肌理」という字が最初は読めなかった(笑)。肌理は、皮膚や物事の表面を表し、英語だと写真の粒子も表します。今回の展示は回顧展ではありませんが、「肌理」というキーワードをつけた時に、いろいろなものが入ってきた感じがしました。
広島の被爆者の遺品を撮影した《ひろしま》。石内は2007年より毎年広島を訪れ、撮り続けている。
──山縣さんは、石内さんの《ひろしま》が今回のコレクションのインスピレーションソースになったのですよね?
山縣 そうなんです。この《"flowers" from series of C/M/K》という写真作品も石内さんの作品を受けて、写真家の濱田祐史さんと共同で作りました。ポラロイド社が製作した特殊なプリンターを使って出力しています。実は、撮影した服も石内さんの写真と対比させて作ったんです。石内さんの写真をパタンナーさんに渡して作ってもらいました。今回のコレクションでは、戦前、戦中、戦後というものに向き合って表現したかった。そのきっかけの一つになったのが僕の父親でした。長崎出身なんです。
石内 被曝されたのですか?
山縣 被曝はしていませんが、祖母が実際にきのこ雲を見たそうです。最近になって祖母が話していたのを知ったのですが、僕の知っている祖母のイメージからは考えられない激動の人生でした。そこから戦前、戦中、戦後を生きた女性に興味を抱きました。この写真をおもちゃっぽいプリンターで出力してあります。その後、写真を水に浸けて、色を分解させてイメージを溶解させています。仕上がりは一見ポップでもありますが、フェイクっぽくもあり、不気味さもある。これが僕らの世代のアンサーです。僕たちは直接戦争のことは知らない。重々しく戦前とか戦中とか戦後とか言っても自信がないし嘘になってしまうから。
石内 《ひろしま》を撮り始める前は、広島というとモノクロで寂しいものしか着ていないイメージでした。でも実物を見ると花模様はあるわ、格好はいいわ。もしあの日、広島にいたら私も着ていたかもしれない、そういう現実感がありました。《ひろしま》を撮っていると、この服を着ていた行方不明の女の子たちがもしかしたら帰ってくるかもしれないと思うことがあります。そのためにも格好よく写真を撮っといてあげないと。彼女たちの服は地下の収蔵庫に小さく折りたたまれ白い紙に包まれて管理されているのだけれど、それを太陽の光の中に連れ出して、一番綺麗に見えるような形で撮っています。非常に大きな意味の中にこの洋服たちはずっといるわけで、すごいことですよね。歴史の塊であり時間の塊。でも洋服なのです。
山縣 今は街中に服が溢れているじゃないですか。服の持っている力や本質的な部分を忘れがちになっているのが今の僕らの環境です。だけど石内さんの写真から放たれるものは、服そのものから人間があぶり出されているというか、服そのものが生き物のように見える。一点一点見ていると、そこにはっとさせられるところがあって。
石内 モノの存在は、人間との関係性にあるじゃないですか。人間とモノはすごく親密だけれど、その関係性が今は無くなってしまっている。ファッションは多すぎるから、選ばなければならない。たくさんある中で何を選んでいいかがわからないけれど、現実には残るものは選ばれたものなんです。これは原爆によって残された、歴史が選んだ服です。
東京都庭園美術館で開催中のグループ展『装飾は流転する』に山縣は参加している。写真家濱田祐史とコラボレーションし制作した作品《"flowers" from series of C/M/K》は、石内の《ひろしま》がインスピレーションソースになっている。

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