浮世絵に見る、江戸の“土木”の構造美|青野尚子の今週末見るべきアート | ページ 2 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

浮世絵に見る、江戸の“土木”の構造美|青野尚子の今週末見るべきアート

私たちの生活を支える大切なインフラ、土木。毎日のように使っている水道や道路は土木工事のおかげだ。その土木のルーツはどうなっていたんだろう? 〈太田記念美術館〉で開かれている『江戸の土木』展が昔の様子を教えてくれます。

葛飾北斎《かめゐど天神たいこばし》。橋の中央にいる人が下をのぞきこんでいる。
飲料にしたり、交通路となったりと、川や水路は江戸の町に欠かせないものだった。江戸幕府は堤や壕などの水利土木によって”水の都”の形を整える。港区の溜池には、今は池はないけれど、もともとは1606年ごろに建設された飲料水のためのダム(堤)があった。北斎《諸国瀧廻 東都葵ヶ岡の瀧》の小さな滝の向こうに見えるのがかつての「溜池」だ。北斎が描き分ける静かな水と滝、波打つ水面もさることながら、六角形に切りそろえられた石による擁壁も興味深い。
葛飾北斎《諸国瀧廻 東都葵ヶ岡の瀧》。手前の人物は担いでいた天秤を降ろして一休みしている。
広重《東都名所坂つくしの内 飯田町九段坂之図》の堤は法面に草が生えているように見える。今で言うロックフィルダム(大小の石や砂利を積み上げて造るダム)だろう。右側の道は天端(てんぱ、堤やダムの上部)を通って画面左上、江戸城の田安門に続いていたようだ。
歌川広重《東都名所坂つくしの内 飯田町九段坂之図》。この絵に描かれた地形は今もほとんど変わっていない。
「世界は神が造りたもうたが、オランダはオランダ人が造った」とは干拓や埋め立てによって国土を拡充してきたオランダが自らを誇って言う言葉だが、江戸幕府もこのあたりはもっと自慢していいはずだ。家康が入城して間もないころから東京湾沿いに埋め立てが進められ、新しい土地を獲得してきた。

広重が描いた佃島は本能寺の変で家康を助けた漁師たちが埋め立ててできた島。そのほかにも現在の日本橋浜町や新橋などの埋め立てが行われた。現在も造成は続けられ、今では東京湾に面した土地の大半は埋め立てによって造られたものとなっている。江戸時代の埋め立ては重機などないから人力で行われている。遠浅の東京湾を埋め立てることで土地が有効活用できるようになり、舟運も便利になった。現在の東京がこれだけ繁栄しているのもこの埋め立て事業のおかげなのだ。
歌川豊春《浮絵和国景夕中洲新地納涼之図》。わずか10年あまりで廃止されてしまった遊興エリア「中州新地」を描く。「浮絵」とは遠近法によって近景が浮き出て見えるように描いたもの。
歌川広重《東都名所 吉原仲之町夜櫻》。暗く影になった建物の上に月が昇る。
江戸では時代の要請に合わせて町の姿を変えていく再開発事業も盛んだった。江戸市中の遊女屋を集めた吉原は唯一の公許の遊郭だ。現在の人形町付近には中村座、市村座という劇場や見世物小屋、芝居茶屋などがあり、二丁町と呼ばれた人気のエンターテインメント・エリアだった。隅田川には中州と岸の間の砂州を埋め立てて造った「中州(なかず)新地」という、茶屋が集まる遊興エリアがあった。が、風紀取り締まりや治水の問題から十数年後には取り壊されてしまう。

AIがあなたにおすすめ

※過去の記事も表示されます