倉俣史朗の盟友、田中信太郎の個展が〈市原湖畔美術館〉で開催中。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

倉俣史朗の盟友、田中信太郎の個展が〈市原湖畔美術館〉で開催中。

2019年8月に亡くなったアーティスト、田中信太郎の展覧会が〈市原湖畔美術館〉で開催中だ。わずか19歳で鮮烈なデビューを果たし、79歳で亡くなるまでの60年間、数々の国際展に日本を代表するアーティストとして参加する一方、ブリヂストン本社、越後妻有、札幌ドームなど数多くのコミッションワークを手がけてきた。田中の初期から晩年までの作品を一堂に見ることができる展示が話題となっている。

本展のために日立にある田中のアトリエから移設された《赤トンボ》。高滝湖畔に建つ〈市原湖畔美術館〉ののどかな風景に、赤トンボのオブジェが馴染む。田中による“赤トンボ”を使った作品といえば、2000年の『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』で公開された作品《〇△□の塔と赤とんぼ》がよく知られている。
高校卒業と同時に茨城から上京。フォルム洋画研究所で絵を学びながら、19歳で『第13回 二紀展』にて鮮烈なデビューを果たし、『第12回 読売アンデパンダン展』『ネオ・ダダ展』などに参加した田中信太郎。1940年生まれの田中の軌跡は、そのまま20世紀現代アートの変遷と重なる。反芸術、ポップアート、ミニマルアート……その時代に蠢く潮流に浸かりながらも、そのどこにも留まらず、自身の創作を追求していった姿を本展では追うことができる。
《音楽》1963年(1996年)本展の中で最初期の作品。ごく短期間に活動した前衛芸術グループ「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」に参加していた頃に構想された作品。
田中信太郎と交流のあったアーティストは数多くいるが、中でもデザイナー、倉俣史朗との長きにわたる親交は興味深い。ブリヂストン本社ロビー彫刻《そのとき音楽が聴こえはじめた》(1986年)など、倉俣が手がける空間に田中は数々の作品を創り出してきた。会場ではふたりの親密な様子が伺える写真を見ることができる。
倉俣史朗と田中信太郎(1990年)。60年代、倉俣史朗がインテリアデザインを手がけ、高松次郎が壁画を描いたことで知られる新宿のサパークラブ〈カッサドール〉のオープン時に倉俣と田中は出会った。以来、アーティストとデザイナーという枠を超えて、20年以上にわたり親交を深めた。この写真は、倉俣が亡くなる約1年前に撮られたものだ。
エットレ・ソットサス、倉俣史朗(左後姿)と田中信太郎。ソットサスと長く盟友関係を持っていた倉俣。銀座の画廊で行われた田中の個展に、ソットサスを連れて見に来たこともあった。
田中信太郎が参加していた数々の展覧会のポスターも館内に展示されている。中には横尾忠則のデザインによるポスターなどがあり、当時のアート界隈における熱狂的な空気を感じさせる。
丸と三角と四角。そのミニマルな形を真鍮でつくった3点がセットとなる作品《〇△□〝萌〟〝凛〟〝律〟》は、会場に足を踏み入れると、すぐに目に入る位置に設置されている。それぞれが3メートル弱の大きさで内側をくぐることもできる作品だ。近くでよく見るとそのラインは、丸は円柱、三角は三角柱、四角は四角柱で、すべて極細で形成されている。重力を感じさせない軽やかな彫刻だ。その横には黒いつやつやとした卵を彷彿とさせる作品《誕生》があり、こちらもコロンと転倒してしまうのではないかと思わせる危うさを感じさせる。一方、壁には十字の照明作品なども掲げられ、不思議な静寂感が空間を満たす。
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