バスキアの大規模展が東京で開催中! | ページ 2 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

バスキアの大規模展が東京で開催中!

27歳で悲劇的な死を遂げたジャン=ミシェル・バスキアの日本では初めての本格的な展覧会が開催中。123億円という驚きの価格で落札されたあの絵も並んでいます!

ジャン=ミシェル・バスキア《炭素/酸素》1984年。右上に五重塔が描かれた1点。「BIG PAGODA」と書かれている。 Hall collection Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
(左から2点)ジャン=ミシェル・バスキア《Untitled》1984年、《シー》1985年。1番左の絵は〈世田谷美術館〉、その右は〈大阪中之島美術館〉の所蔵。いずれもかなり早い時期に購入したもの。日本の美術館の先見の明を示している。 Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
バスキアが日本で撮った写真。 Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
1988年に彼が没した後、どういうわけか彼の作品はあまり評価されなくなった。劇的な人生にスポットが当たりすぎ、作品に注目が集まらなかったことが“バスキア離れ”の一因だったかもしれない。また彼の作品は類似のものがなく、「〜〜派」や「〜〜イズム」といった現代美術史の流れに位置づけることが難しいのだ。が、本展日本側監修者の美術史家、宮下規久朗はバスキアを「戦後アメリカ現代美術の王道」だと評する。
ジャン=ミシェル・バスキア《バレンタイン》1984年(On loan by Paige Powell)。猿になったバスキアが当時のガールフレンド、ペイジ・パウエルに何かを食べさせている。 Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
(中央)ジャン=ミシェル・バスキア《生魚》1984年(Private Collection)。荒々しい筆致で描かれた背景や太い輪郭線の人物像、細いペンのようなもので書かれた小さな文字や人物のイメージが大画面に同居している。  Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
「ひとつは大画面であること。もう一つはオールーバー、中心がないこと。彼の絵では画面のあらゆるところに重心がある。ジャクソン・ポロックとも通底する大胆な筆触も戦後アメリカ絵画の特徴です」
ジャン=ミシェル・バスキア《自画像》1985年(Private Collection)。右側には飲料の王冠が貼り付けてある。 Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
《自画像》部分。たくさんの王冠を画面に貼り付けた作品は、使用済みの空き缶やタイヤをリメイクして他の用途に使うアフリカの習慣に通じる。 Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
(左)ジャン=ミシェル・バスキア《グラスノーズ》1987年(Tony Shafrazi Gallery, New York)。青い背景の人物像はグラスノーズ=ガラスの鼻と題された作品。当時のソ連で始まり、後の冷戦終結につながった「グラスノスチ」(情報公開)との語呂合わせ。 Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
さらにそこに、彼独自のものとしてアフリカ的なものが加味される。彼の絵にはマイルス・デイヴィスやモハメド・アリ、マルコムXら黒人のミュージシャンやアスリート、活動家の名前がたびたび登場する。奴隷貿易などの歴史に触れたものも少なくない。レコードジャケットを模したものなど、音楽への接近は彼がジャズなどをかけながら描いていたことにも関係しているだろう。バスキアは「グレイ」というバンドで演奏していたこともあった。
(左から)ジャン=ミシェル・バスキア《偽り》1983年、《ニュー》1983年(共にPrivate Collection)。左には「偽物のレオナルド・ダ・ヴィンチ」、右には「本物のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と書かれている。バスキアはレオナルドの、とくに解剖スケッチに興味を持っていた。「200 YEN」は当時のタバコの値段。 Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
ジャン=ミシェル・バスキア《ブーン》1983年(Private Collection)。モナリザにバスキアの画商、メアリー・ブーンのイメージを重ねている。 Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
バスキアの絵に書き込まれる文字についてアメリカの作家、ウィリアム・S・バロウズの影響に言及する人は多い。バロウズは「カットアップ」という手法に興味を持っていた。テキストをばらばらに切り離し、無作為に再構成する手法だ。たいていは意味のないフレーズになるが、まれに偶然、思いがけない文章ができあがることがある。
ジャン=ミシェル・バスキア《無題(ドローイング)》(部分)、1986年(Collection of Larry Warsh)。後期になるほど文字が小さく、びっしりと書かれるようになる。 Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
右奥に見えるのが、前述の《無題(ドローイング)》、1986年(Collection of Larry Warsh)。手前右の立体作品《無題》(1985年、世田谷美術館所蔵)には自画像が描かれている。 Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
バスキアのノートの展示風景。彼独特の書体で詩のようなものが書きつけられている。 Artwork © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York
バスキアの絵に描き込まれたテキストはストーリーを語るものではなく、詩か散文に近い。SAMO名義のグラフィティも具象的なシンボルなどではなく、テキストがほとんどだった。晩年、絵画を制作することが少なくなっていた彼は作家か詩人になりたい、ともらしていたという。

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