バスキアの大規模展が東京で開催中!
27歳で悲劇的な死を遂げたジャン=ミシェル・バスキアの日本では初めての本格的な展覧会が開催中。123億円という驚きの価格で落札されたあの絵も並んでいます!
1988年に彼が没した後、どういうわけか彼の作品はあまり評価されなくなった。劇的な人生にスポットが当たりすぎ、作品に注目が集まらなかったことが“バスキア離れ”の一因だったかもしれない。また彼の作品は類似のものがなく、「〜〜派」や「〜〜イズム」といった現代美術史の流れに位置づけることが難しいのだ。が、本展日本側監修者の美術史家、宮下規久朗はバスキアを「戦後アメリカ現代美術の王道」だと評する。
「ひとつは大画面であること。もう一つはオールーバー、中心がないこと。彼の絵では画面のあらゆるところに重心がある。ジャクソン・ポロックとも通底する大胆な筆触も戦後アメリカ絵画の特徴です」
さらにそこに、彼独自のものとしてアフリカ的なものが加味される。彼の絵にはマイルス・デイヴィスやモハメド・アリ、マルコムXら黒人のミュージシャンやアスリート、活動家の名前がたびたび登場する。奴隷貿易などの歴史に触れたものも少なくない。レコードジャケットを模したものなど、音楽への接近は彼がジャズなどをかけながら描いていたことにも関係しているだろう。バスキアは「グレイ」というバンドで演奏していたこともあった。
バスキアの絵に書き込まれる文字についてアメリカの作家、ウィリアム・S・バロウズの影響に言及する人は多い。バロウズは「カットアップ」という手法に興味を持っていた。テキストをばらばらに切り離し、無作為に再構成する手法だ。たいていは意味のないフレーズになるが、まれに偶然、思いがけない文章ができあがることがある。
バスキアの絵に描き込まれたテキストはストーリーを語るものではなく、詩か散文に近い。SAMO名義のグラフィティも具象的なシンボルなどではなく、テキストがほとんどだった。晩年、絵画を制作することが少なくなっていた彼は作家か詩人になりたい、ともらしていたという。