授賞式直前のトム・プリツカー氏を直撃! プリツカー賞の裏側を聞きました。 | ページ 2 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

授賞式直前のトム・プリツカー氏を直撃! プリツカー賞の裏側を聞きました。

“建築界のノーベル賞”として絶大な影響力を持つ、プリツカー賞。その創立者であるプリツカー家の代表、トム・プリツカー氏が来日。2017年度の受賞者や、5月20日に東京・迎賓館赤坂離宮で開催される授賞式について話を聞きました。最後はプリツカー賞の誕生秘話も飛び出し……!?

1989年、東大寺で行われたプリツカー賞授賞式で挨拶を行うフランク・ゲーリー。
Q 1989年の受賞者はフランク・ゲーリーでしたね。

A そうです。まだ皆さんの知る“フランク・ゲーリー”になる以前のゲーリーです。当時は、いま私たちが彼の代表作として思い浮かべる建築はなにひとつ完成していませんでした。私自身、彼の建築がまったくわからなかった。正直、嫌いでした(笑)。彼が受賞した際も「Not like」とはっきり述べています。受賞をきっかけに、私なりに彼と彼の建築を知ろうと努力をしましたが、それでも掴めませんでした。ようやく理解できたのは〈ビルバオ・グッゲンハイム美術館〉が完成したとき。子供たちと一緒に美術館を訪れ、建築によって彼らの目が輝きだす瞬間を見ることができました。今、ゲーリーは大親友のひとりです(笑)。

Q 若き日のゲーリーがプリツカー賞受賞をきっかけに、次々と大きなプロジェクトを手がけ、世界が認める存在となったのは象徴的な出来事でした。それだけ、毎年の受賞者に注目が集まるわけですが、ここ数年は「社会問題への取り組み」を評価された建築家の受賞が続いているように思います。

A 確かに、2015年の受賞者である坂茂は被災地で取り組みを続けていますし、2016年の受賞者のアレハンドロ・アラヴェナは家を建てる経済的余裕のない人々のために新しい集合住宅のあり方を提案しています。ただ、そういった受賞の状況を「トレンド」として読み解くのは注意した方がいいでしょう。実際、選考委員会は年ごとに少しずつメンバーが入れ替わっていますし、今後もどのような方向性で選考が行われるのかは分かりません。ここで再確認しておきたいのは、選ばれる建築家は多様な条件を満たしていなければいけないということ。環境問題や社会問題への喚起を促すのはそのひとつですが、重要なのはエクセレンス。つまり、抜きん出て優れたものに対する賞でなければならないのです。
RCRアーキテクツによる〈スーラージュ美術館〉。G.トレグエットとの共作。 photo_Hisao Suzuki
Q そもそも、あなたのお父さまであるジェイ・プリツカー氏はどのような思いでこの賞を立ち上げたのでしょうか?

A 父は1967年に開業した〈ハイアット リージェンシー アトランタ〉のアトリウム空間に感動したことがきっかけで、建築に興味を持つようになりました。あのホテルを通じて、建築は人々の心を動かせると知ったのです。その後、あるきっかけを経て1979年にプリツカー賞を立ち上げました。

Q そのきっかけとは?

A ある人物が父に提案をしたのです。「ノーベル賞には建築の部門がない。ならば、建築界のノーベル賞と呼ばれる賞をつくってはどうか?」と。その男は父とは何の面識もなかったのですが、突然電話をかけてきて、父を説得しました。そうして、父の建築への思いを後押ししたのです。この話で素晴らしいのは、ひとつの小さなアイディアが父の建築への愛を刺激し、その結果、世界を変えたということです。

その後、我々プリツカー家は、一年かけてじっくりと選考方法を話し合い、賞のコンセプトを固めました。プリツカー賞を通して我々が目指すのは、人々や社会にとって建築がいかに重要かを意識させるということです。5月20日に迎賓館赤坂離宮で行う授賞式でもそのことを伝えていきたいと思っています。

トム・プリツカー

1950年アメリカ・シカゴ生まれ。ハイアット・ホテル・グループを経営するプリツカー家の代表であり、プリツカー財団会長。